ヘイトスピーチと表現の自由|日本の法律ではどう扱われているか
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平成28年(2016年)、大阪市で全国初となるヘイトスピーチを規制する条例が制定されました。この大阪市の条例については「憲法上の表現の自由を侵害する」として訴訟が行われていましたが、令和4年(2022年)、最高裁は「合憲」との判断をしました。
大阪市で制定されて以降、ヘイトスピーチ規制条例は全国の自治体で相次いで制定されており、ヘイトスピーチを規制する機運はますます高まっているといます。しかし、大阪市の条例でも争われたように、ヘイトスピーチ規制は表現の自由に対する制約であることから、憲法で保障された個人の自由とは緊張関係にあります。
憲法の問題などを抜きにしても、「SNSで行った投稿がヘイトスピーチと見なされるのではないか」「自分の言動が原因で処罰を受けてしまうのではないか」といった不安や恐れを抱かれている方は多々いるでしょう。本コラムでは、ヘイトスピーチと表現の自由の関係や、ヘイトスピーチで成立することになる犯罪などについて、ベリーベスト法律事務所 豊中千里中央オフィスの弁護士が解説いたします。
1、「ヘイトスピーチ」とはなにか
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(1)ヘイトスピーチの定義
一般的には、「ヘイトスピーチ」とは「人種、宗教、ジェンダー、アイデンティティなどの属性に基づきながらある集団や個人を標的として、それらの集団や個人を排斥・差別する攻撃的な言説や表現」のことをいいます。
「スピーチ」といっても、ヘイトスピーチの対象となる表現は、声に出して発声すること、または文字や文章に限られません。
記号やジェスチャー、画像や風刺画、オブジェクトといったあらゆる多様な表現方法が、ヘイトスピーチとなり得ます。
また、SNSへの投稿やニュースサイトへのコメントなどを含む、インターネット上での表現もヘイトスピーチと認定される可能性があるのです。 -
(2)ヘイトスピーチの判断基準
ある表現がヘイトスピーチであるかどうかは、主に以下の二つの基準によって判断されます。
① 差別的あるいは軽蔑的な表現であること
ある集団やその集団に属する個人に対してなされる、差別的(偏っている/不寛容な)表現、または軽蔑的(侮辱的な/偏見に由来する/屈辱感を与える)表現は、ヘイトスピーチとなります。
② アイデンティティ要素のほか多岐にわたる特質も対象になること
人種や宗教、ジェンダーに国籍など、人や集団のアイデンティティを構成する要素に対する差別的または軽蔑的な表現は、ヘイトスピーチとなります。
また、言語や健康状態、障害やその他の特性に対する差別的または軽蔑的な表現も、ヘイトスピーチとなり得るのです。
2、「表現の自由」とヘイトスピーチ規制の対立
ヘイトスピーチは、その対象とされた人や周囲の人々に対して不快感や不安感を与えるだけでなく、対象とされた人の人間としての尊厳を傷つけて、社会における差別的な意識を生じさせたり増加させたりするおそれもあります。
したがって、ヘイトスピーチとは決して許されるものではありません。
ただし、「ヘイトスピーチに対しては徹底的な規制を行うべきだ」という主張については反対する意見も多々あるのです。
以下では、「(政治的な)表現の自由の抑圧」に対する懸念に基づく反対意見や「思想の自由市場」論に基づく反対意見、また大阪市のヘイトスピーチ規制条例をめぐる裁判のいきさつを解説します。
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(1)表現の自由との緊張関係
ヘイトスピーチ規制に対する反対意見のなかでも代表的なものは、安易なヘイトスピーチ規制によって憲法でも保障されている「表現の自由」が侵害されてしまうことに対する懸念に基づいています。
個人の表現の自由のなかでも、とくに政治的な表現の自由は、最大限に守られるべきものだと考えられています。
しかし、人種・民族・宗教に関わる言説については、政治的な表現が含まれる可能性が高いでしょう。
したがって、ヘイトスピーチが規制されることによって、これらの重要な表現の自由も規制されたり、萎縮効果を発生させてしまったりするおそれがあるのです。
また、「政治的な意図をもった、人種などに関する表現ではあるが、ヘイトスピーチではない(差別的・侮辱的ではない)表現」を行おうとする人に対しても、「自分としてはヘイトスピーチではないつもりでも、ヘイトスピーチ規制に該当して、処罰されてしまうかもしれない」といった恐れを抱かせて、表現活動を行うことをためらわせる効果をもたらす可能性があります。 -
(2)思想の自由市場論
表現の自由は、数ある自由や権利のなかでも特別な保護が与えられるべきものとされています。
その根拠のひとつが「思想の自由市場論」です。
思想の自由市場論では「人々が自らの見解を確認・修正したり、多様な意見を闘わせたり擦り合わせたりしたうえで、社会に健全な合意を形成するためには、思想の自由市場が不可欠である」ということを前提にしたうえで、さらに以下のような議論がなされます。- 知識の増大と真理への到達のためには表現の自由の保障が最善である
- 人間の判断は、不完全で誤りを伴うものであるため、常に新たな意見に耳を傾けるべきであり、反対意見も黙殺せずに取り合わなければならない
- 特定の意見や議論を抑圧すれば、議論を通じた合理的な判断への到達が妨げられて、社会に誤りが固定化されかねない
このような思想の自由市場論からは、ヘイトスピーチ規制に関しても「マイノリティに対して差別的・軽蔑的な言動や表現であっても権力によって規制すべきではなく、反論によって対抗すべきである」という主張がなされます。
思想の自由市場論に基づくと、「マイノリティに対する反対意見として機能するヘイトスピーチが規制によって封殺されると、かえって社会的な誤りがまん延してしまうおそれがある」と考えられるためです。
ただし、ヘイトスピーチ規制の支持者などは、「ヘイトスピーチという問題については、思想の自由市場は機能しない」といった反論を行っています。
たとえば、ヘイトスピーチの被害者にとっては、ヘイトスピーチを見聞きすることで精神的な苦痛を受けてしまうことから、その場で適切に反論することも難しい場合が多いでしょう。
また、さらなる苦痛を避けるために、事後でヘイトスピーチのことを思い出して反論することをためらう場合も多いと考えられます。
したがって、ヘイトスピーチの被害者と加害者の立場は対等ではなく、互いにとって公平状態の議論が成立することも期待できないのです。
上記のように、思想の自由市場論には、表現の自由が保障される根拠として非常に重要な意義がある一方で、ヘイトスピーチやその規制という文脈においては必ずしも万能な考え方だとはいません。 -
(3)大阪市ヘイトスピーチ条例事件
大阪市が2016年(平成28編)に全国で初めて制定したヘイトスピーチを規制する条例(『大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例』)が憲法で保障された表現の自由を侵害するかどうかをめぐって、違憲訴訟が行われました。
この条例は、一定の表現活動をヘイトスピーチと定義したうえで、これに該当する表現活動のうち大阪市内の区域内で行われたものについて以下のような対応をとることを定めています。- 市長が当該表現活動に係る表現の内容の拡散を防止するために必要な措置などをとるものとする
- 市長の諮問に応じて表現活動が上記の定義に該当するか否かについて調査審議をする機関として審査会を置く
- 審査会が認定した場合はヘイトスピーチを行った個人や団体の名前を公表する
違憲訴訟では、これらの規定が表現の自由を侵害するかどうかが争われました。
最高裁(2020年2月15日判決)では、条例の目的は、条例ヘイトスピーチの抑止を図ることにあるとしました。その上で、条例の上記目的は「合理的であり正当なものということができる。」と判示し、最高裁判所は、条例は憲法21条1項に違反するものではないと結論しています。
なお、本件における最高裁の判断はあくまで大阪市の条例に限定した判断であり、ヘイトスピーチ規制一般に対する判断ではないことに注意してください。
たとえば、規制対象となった表現行為が大阪市の条例よりも広範な行為を含むものであった場合や、拡散防止措置に応じなかったときに強制力があるような条例である場合には、最高裁の判断が異なってくる可能性もあるのです。
3、個人に対するヘイトスピーチが犯罪となる場合
ヘイトスピーチは個人を対象にする場合もあれば集団を対象にする場合もありますが、刑法の視点から見れば、個人を対象にしたヘイトスピーチのほうが犯罪になりやすいといます。
以下では、個人に対するヘイトスピーチについて成立する可能性がある犯罪を解説します。
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(1)名誉毀損(きそん)罪
名誉毀損罪は、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した」ときに成立します。
名誉毀損罪が成立するのは、特定個人に関する名誉を毀損した場合です。
したがって、特定の民族や国籍を有する集団に対して行うヘイトスピーチについては、名誉毀損罪は成立しにくいでしょう。
しかし、特定個人の名誉を毀損するようなヘイトスピーチについては、要件を満たす場合には名誉毀損罪が適用される可能性があります。
名誉毀損罪の量刑は「3年以下の懲役もしくは禁錮、または50万円以下の罰金」です。
なお、表現の自由と名誉毀損の関係については、ベリーベスト法律事務所京都オフィスのコラムで詳しく解説されているので、気になる方はぜひご参照ください。関連記事
> 「表現の自由」と「名誉」どちらが重視される? 法律を解説 -
(2)侮辱罪
侮辱罪は、名誉毀損罪のように事実を摘示しなくても、「公然と人を侮辱した」場合に成立する犯罪です。
侮辱罪も名誉毀損罪と同様に、特定の人物を侮辱することが要件になります。
したがって、集団を対象にしたヘイトスピーチよりも個人を対象にしたヘイトスピーチで成立しやすい犯罪といます。
侮辱罪の量刑は「1年以下の懲役もしくは禁錮、または30万円以下の罰金」です。 -
(3)暴行罪・傷害罪
街頭などで行われるヘイトスピーチデモが過激化した結果、暴力行為が行われた場合には、暴力行為を行った本人や責任者に対して暴行罪や傷害罪が適用される可能性があります。
暴行罪の量刑は「2年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金、または拘留もしくは科料」です。
また、傷害罪の量刑は「15年以下の懲役または50万円以下の罰金」となります。
4、集団に対するヘイトスピーチが犯罪となる場合
基本的に、日本の法律では、集団に対するヘイトスピーチそのものを罰するための法律はありません。
ただし、ヘイトスピーチデモは「威力業務妨害罪」となり得るほか、地方自治体のヘイトスピーチ規制条例によって厳しい罰則が科される可能性もあります。
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(1)威力業務妨害罪
威力業務妨害罪は、「威力を用いて人の業務を妨害」した場合に成立する犯罪です。
たとえば、マイノリティの方の施設や事務所の面前で拡声器などを用いて執拗(しつよう)にヘイトスピーチを行ったり、施設の近所にて集団でヘイトスピーチデモを行い続けたりした場合には、威力業務妨害罪が成立する可能性があります。
威力業務妨害罪の量刑は「3年以下の懲役または50万円以下の罰金」です。 -
(2)川崎市の条例
2020年(令和2年)、川崎市にて、全国で初となる罰則付きのヘイトスピーチ規制条例(川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例)が施行されました。
この条例における罰則は「50万円以下の罰金」です。
ただし、ヘイトスピーチを行った人に対してすぐに罰則が科されるわけではありません。
罰則が科されるのは、対象となる違反行為を行わないように勧告、命令がなされたにもかかわらずさらに違反した場合です。
5、まとめ
一般論としては、ヘイトスピーチは許されるものではありません。
しかし、法律的には、ヘイトスピーチ規制は表現の自由の重要性に配慮したうえで、過度な制約が行われないようなかたちで行われなくてはなりません。
そのため、ヘイトスピーチ規制に対しては「政治的な表現の自由」や「思想の自由市場論」を根拠にした反論がなされており、議論は現在でも続いている状況です。
ただし、現状においても、とくに個人を対象にしたヘイトスピーチについては名誉毀損罪や侮辱罪などの犯罪が成立する可能性があります。
また、集団を対象にしたヘイトスピーチについても、川崎市の条例のように罰則が科される可能性があるのです。
自分がヘイトスピーチを行ったという自覚がある方や、過去の言動や投稿がヘイトスピーチと見なされるのでないかという不安を抱かれている方は、念のために弁護士に相談することも検討してください。
また、名誉毀損罪をはじめとする刑法上の犯罪に実際に問われた場合には、起訴や厳しい刑罰を避けるために、速やかに弁護士に相談して対応をとる必要があります。
刑事事件に関するご相談は、まずはベリーベスト法律事務所にお問い合わせください。
- この記事は公開日時点の法律をもとに執筆しています